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スタジアムと認知と経済(2)〜隣の芝生は青くない

前回の「スタジアムと認知と経済(1)〜サッカーはファンを不幸にするか」から、ひどく時間が空いてしまいました。やっと第2回を書いています。今回も、行動経済学の理論をスタジアムに持ち込んでみようと思います。

「隣の芝生は青い」という言葉があります。「自分のものより、他人のものの方が良く見える」という意味の慣用句です。誰かが持っている物が良く見える、羨ましくなる、欲しくなる、買ってみたらそうでもなかった…。そんな経験は確かによくあります。

この「隣の芝生は青い」という言葉を、映像に変換してイメージしてみましょう。恐らく、隣の家の庭には綺麗な緑に輝く芝生があって、あなたは自分の家の庭から隣の家の庭を見ている映像が頭の中に浮かぶと思います。

そんな映像を思い浮かべる中で、あなたの家の庭には、それほど綺麗ではない芝生があると思います。重要なのは、この映像を思い浮かべる時に、大抵の人が「自分の家の庭にも芝生が生えているが、隣の芝生の方が綺麗に見える」という映像になっているという事です。

隣の芝生は「うちの芝生より」青い

ここで、「隣の芝生は青い」という慣用句について、いくつかの前提条件が発生してきます。

  • 自分も隣人も「芝生」を保有している。
  • 隣人の「芝生」の価値は本来の価値より高く感じる。
    もしくは、自分の「芝生」の価値が本来の価値より低く感じる。

冒頭でも触れていますが、「隣の芝生は青い」という慣用句は「他人が保有しているものは自分が保有しているものに比べて価値が高いように感じる」という意味になります。つまり、「隣の芝生は青い」という慣用句は本来「自分の家の庭に芝生がない場合」を想定していないのです。従って、冒頭で触れた「他人が持っている物が羨ましい、欲しくなる、買う」という、「他人が持っている物を自分が持っていない時、羨ましくなる」というケースは、本来の「隣の芝生は青い」という慣用句の意味とは違っていると言えます。